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学校沿革

ゆるぎなく輝き続ける創立者 新島襄の教え。

同志社の創立者 新島襄は、幕末の混乱期に様々な困難を乗り越え渡米。 彼の地での見聞を通じ、「教育こそが国の礎」との確信に至り、帰国後の1875年、同志社英学校を創設しました。 「人を思う心をつくる」ことに重きをおいた創立者の精神は連綿と受け継がれ、心の混迷がさまざまな影を落とす今の時代に、ますますゆるぎない輝きを放ち続けています。

前史


1939.05  大阪偕行社、中学設立を決定
1939.08  寝屋川町友呂岐の丘(現校地)を購入
1940.03  大阪偕行社中学校の設立認可
1940.04  大阪偕行社附属小学校にて開校
1941.03  寝屋川町友呂岐の丘に移転
1941.05  第2山水中学校と改称
1948.04  新制中学校、高等学校の設立認可
1948.12  香里中学校、香里高等学校と改称

良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ

同志社の創立者 新島襄は、建学の目的として「良心ヲ手腕ニ運用スルノ人物」の育成を打ち出し、知徳並行教育を強調しました。知識の詰め込み教育に片寄ることのないよう、キリストの教えに基づく徳育を並行して進めることで「良心之全身ニ充満」した人材を育てたいと願ったのです。この精神は、今日も同志社香里の教育の中に受け継がれています。

 

新島襄と八重夫人

新島 襄と妻八重信念の人・新島襄と意志が強く進取の気性に富む八重夫人は、互いの人格を尊重しあう、現代から見ても理想的な夫婦でした。夫人の兄・山本覚馬は、同志社設立にあたり新島を助けたことでも知られています。

同志社史


1951.07  同志社と香里学園の合併調印式
1951.08  同志社香里中学校、高等学校開設
1951.09  同志社と香里学園の合併記念式
1958.11  尚志館竣工
1960.06  明誠館竣工
1963.10  総合体育館、有朋館竣工
1964.06  プール竣工
1966.03  尚志館特別教室、尚志館明誠館連絡路竣工
1972.03  尚志館と明誠館の新校舎竣工
1977.03  香真館竣工
1981.01  香友館竣工
1985.03  讃光館、興文館竣工
1988.10  第2グラウンド使用開始
1999.03  友愛館竣工
2000.04  高等学校に共学の「国際コース」2クラス設置
2002.02  清心館竣工
2002.04  中学校男女共学化スタート
2005.04  高等学校「国際コース」廃止、全クラス男女共学化
2005.09  第1グラウンド改修(人工芝化)
2006.02  第2体育館竣工
2011.03  紫塩館竣工
2011.10  第2グランド改修(人工芝化)
2012.09  尚志館竣工(建替え)
2012.09  香友館竣工(移築建替え)
2012.09  男子更衣室棟竣工
2013.03  多目的グランド改修(移築・オムニコート化)