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FOUNDER 校祖・新島襄

受け継がれてきた同志社の精神。
はじまりは新島襄の冒険でした

同志社香里の歴史は、新しい時代に求められる教育を日本にもたらしたいと願った一人の青年の情熱からはじまりました。
人を思い、人に尽くす、同志社の創立者新島襄の精神は、今も香里の丘に脈々と息づいています。

新島襄と妻八重

新島襄と妻八重

新島のパートナーは、2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公・八重。帰国後に知りあい、1876年に結婚。レディファーストの新島と男勝りな八重はお似あいの夫婦だったようです。

日本の近代化のリーダーへ。
アメリカへわたった新島襄。

1843年、安中藩の江戸詰め下級武士の長男として生まれた新島襄。日本の近代化に貢献したいという思いから、函館を脱国してアメリカをめざしました。1865年、ボストンに到着した新島は、キリスト教をもとにした人間形成が欧米の政治や経済、文化に大きく貢献していると感じ、知・徳・体のバランスのとれた人物を養う全人教育を日本にももたらしたいと考えるようになりました。

自治自立の人を育てるために。
同志社が進める全人教育。

1874年、帰国した新島は、国内外の多くの人の協力を得て1875年に京都に「同志社英学校」を設立。キリスト教にもとづいた教育をおこない、「自治自立の精神」と高度な国際感覚、そして良心をあわせもつ日本国民の育成をめざしました。以来、同志社には「一国の良心」でありたいと願う若者が全国から集い、新島の志を受け継いで社会へと羽ばたいています。

大阪の地に同志社を。
そして誕生した同志社香里。

新島が帰国当初に学校設立をめざしていたのがここ大阪の地です。当時は数々の問題から計画がストップしてしまいましたが、1951年に「同志社香里中学校・高等学校」が誕生し、新島の初心が大阪によみがえりました。そして、同志社香里は新島の精神を継承する同志社として歴史を重ね、未来に求められる教育の実現をめざして力強い歩みを続けています。

ワイルド・ローバー号

ワイルド・ローバー号

新島がアメリカへわたったときに乗り込んだ船の名称。新島はこの船の持ち主であるハーディー夫妻の勧めで神学校へ入学しました。

同志社英学校の最初の卒業生

同志社英学校の最初の卒業生

1879年、同志社英学校としての最初の卒業式がおこなわれました。卒業生たちは政治や経済、また文化の発展に貢献するために巣立っていきました。

「良心の涵養」を教育理念に、
1875年の設立以来、
30万人超の卒業生を輩出。

創立者は新島襄。「キリスト教主義」「自由主義」「国際主義」を柱に、身につけた知識を社会に活かす「良心」の養成を理念とし、教育の革新を続けてきました。1875年の同志社英学校の創立以来、30万人を超える卒業生が社会で活躍の場を広げており、現在も幼稚園から大学まで14の学校で4万人を超える学生、生徒、児童および園児が学んでいます。

  • 同志社大学

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  • 同志社女子大学

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