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[学校生活]

高校2年生修学旅行 三日目(1月26日(金))

1月26日(金)

石垣島での楽しい思い出を胸に、今日から修学旅行後半の沖縄本島での活動が始まります。朝食後の礼拝では学年主任の古本先生からの奨励がありました。過去の修学旅行での自主研修についてのお話をされ、そこから「これからのみなさんの人生においても、『求めよ、探せよ、門をたたけよ』の精神を持ってがんばってほしい」という激励をされました。とても勇気づけられるお話でした。

礼拝後はホテルを出発して、新石垣空港から那覇へ。那覇に到着したときには、やや肌寒さを感じましたが、新たな活動拠点に生徒たちの期待感も高まります。

まずはクラスごとにバスで平和祈念公園へ移動し、平和の礎などを見学。「平和の礎」とは、沖縄戦などで亡くなられた方々の氏名を刻んだ碑です。出身都道府県別に氏名が刻まれており、それを見ながらガイドさんの説明を聞いている生徒たちの表情も真剣です。

平和の広場で「平和の火」のモニュメントを見学したあと、クラスごとで記念撮影。そこから各コースに分かれて平和学習へ。

 

【平和学習祈念資料館】

このグループは、平和祈念公園のすぐ近くにある資料館へ。2時間ほど資料館内の見学や周辺の散策をして過ごしました。

館内にはたくさんの資料が展示されており、琉球王国時代からの歴史や沖縄での戦争のことなど、ここでしか見られないような体験談もたくさん目にすることができました。他にも入口付近には土に埋まった状態の不発弾がガラス張りで展示されていたり、実際に戦争を体験した人の談話を動画で見ることができたり、戦時中の実際の新聞を読むこともできました。また戦後のアメリカとの関係についてのコーナーもあったようです。

ここを訪れる前も、戦争というのは怖いものだとちゃんとわかっていたつもりだったが、実際に様々な資料を目にしたことにより、さらに戦争の悲惨さを感じ、二度と起こってほしくないと強く思ったようです。

 

【ひめゆり平和祈念資料館】

バスでひめゆり平和祈念資料館へ。到着後、ひめゆりの塔を見学し、20分程度の証言ビデオを館内でみんなで鑑賞しました。30年ほど前に作成された番組でしたが、実際に沖縄戦で看護要員となった女子学徒隊の生存者の方々の体験談と、実際の映像を交えた動画を真剣な眼差しで見ていました。その後、1時間ほどかけて資料館の中をそれぞれで見学。

資料の中心は、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の教師・生徒たちの戦争前の日常生活から、病院に配属されて負傷兵の看護にあたった時の様子、そして突然の解散命令とその後の犠牲者の増加などが時系列を追って展示されていました。

たくさんの写真が展示されていたのですが、その中の一枚に、沖縄戦が激化する1945年の1年前に撮影された、校長先生を囲んでの修了式記念撮影がありました。校長先生をはじめ、女学生たちもみな、とびきりのいい笑顔です。ところが、1年後にはその笑顔も消え、その写真にいた人物たちの多くが戦争により亡くなってしまいます。写真を撮影したときには、1年後にこのようになることは想像できなかったのではないでしょうか。

その方々一人一人の個人写真と、どうやって亡くなられたのかの展示にも生徒たちは真剣に見学していました。私たちは戦争のない日常を当たり前に思っているかもしれませんが、笑顔あふれる日常は、当たり前ではない。いろんな人の様々な努力があって成り立つものだと実感したという感想も聞かれました。

生き延びた方々の体験談もたくさん読むことができ、まだまだ時間をかけてじっくりと見学したい、という様子でした。

 

【旧海軍司令部壕】

このグループは、旧日本海軍の司令部が使っていた壕の見学を行いました。壕の中に入る前に、戦場の写真を見たり電報のモールス信号の音を聞いたりすることができました。

壕内には薄暗い通路が迷路のようになっており、当時使われていた様子のままの部屋がたくさんありました。立ったまま寝るための部屋、通信するための部屋、司令官が作戦を立てる部屋、負傷した兵士を治療するための部屋…。

中でも幕僚室はとても印象に残ったようです。壁には無数の穴があいていましたが、これは幕僚が手りゅう弾を使って自決したときの破片のあとで、それが当時のまま生々しく残っています。他にも司令官室には司令官の愛唱歌が壁にそのまま残っていたり、壕の中には公開されてはいないが、まだまだ当時のままのものが残されたままの場所もあるようです。

壕の中に入った時に、なんだか空気が重いように感じた、透き通っていないように強く感じたという感想も聞こえてきました。生徒のみなさん、それぞれがいろんな思いを持ってこの壕を見学したようです。

 

【アブチラガマ】

現地のガイドさんの説明を受けながら、懐中電灯と軍手を身につけ、ガマの中を見学しました。アブチラガマは、もともとは糸数集落の避難指定壕でしたが、日本軍の陣地壕や倉庫として使用され、戦場が南下するにつれて南風原陸軍病院の分室となりました。そこに軍医、看護婦、ひめゆり学徒隊が配属され、全長270mのガマに、なんと600人以上の負傷兵がやってきて埋め尽くされました。

入口を見たときには、映画などで見たことのある防空壕のイメージがあったようです。しかし実際に中に入ると高低差もあり、整備されていた入り口と違って、ガマの中は当時のままで整備されておらず、歩きにくかったようです。

もちろん、戦争中はガマの中に電気は通っていません。当時の感じを体験するために時々懐中電灯を消して真っ暗になり、その暗闇の中でどのような思いで人々はガマの中で過ごしたかを想像してみました。

ガマの中には当時のものがたくさん残っていたのですが、生徒たちが驚いたのは、米軍が中にいる人たちを攻めてきたときに吹き飛ばされたものが天井にいまだに貼りついたままであったり、入り口から火炎放射器で攻撃したので天井が黒ずんでいたりしているのを実際に目の当たりにしたことです。

今も世界のある地域では戦争が起こっているものの、外国のことだったらあまり実感しないけれど、日本にも昔は実際にあったことだということを強く感じたと生徒の感想でありました。

 

それぞれのコースで、たくさんの学びがあったようでした。平和学習を終えた後はホテルへ向かい、無事到着。夕食を済ませ、明日の班別自主についての説明を受けました。

明日は午前中に美ら海水族館へ行き、午後は班別自主研修。タクシーも利用し、沖縄本島各地を縦断する自主研修です。明日も実りある1日となりますように!

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